宇治平等院の正門横に建つ辻利右衛門の銅像。今も宇治を見守り続ける
『辻利右衛門』が発明した茶箱。今では全国どこのお茶屋でも使われています
作業を見つめる真剣な目。最後は人間の目と感覚が良いお茶作りには不可欠
ズラリと並んだ石臼。今でも『辻利一本店』のお茶は石臼挽きを守り続ける
完成した宇治茶。緑色が目にも鮮やか。全国のお客様に届けられます
じつは創業以来革新的企業なんです
1860年の萬延元年に創業したお茶屋です。
1860年と言ったらですね、歴史の教科書にも出ている桜田門外の変があった年です。
その年に辻利右衛門さんが開業しました。
最初は和菓子屋だったんです。しかしその後幕末になって、幕府がお茶を買わなくなってきたんです。それどころじゃなかったんでしょうか(笑)。で、私たちの先人達が和菓子どころかこのままではお茶文化の危機だと、そう考えまして、この地でお茶の販売を始めました。
創業150年の宇治のお茶屋と言ったら、皆さんどこか伝統を重んじた保守的な会社をイメージするかもしれません。でも実は私たち辻利一本店は、創業以来ずっと革新的なことに挑戦してきているのです。意外でしょ(笑)。
まずは今では誰でもご存知のお茶の種類の『玉露』。この玉露を棒状に手で伸ばしてしてつくる、現在に伝わる玉露の製法を完成させたのが辻利右衛門です。
それからお茶の流通。いわゆる茶箱と言うお茶を保存する箱ですね。木箱の内側にブリキの薄板を張って防湿するあの茶箱を初めて作ったのも辻利右衛門です。この茶箱の発明でお茶の保存と全国への輸送が簡単に行うことが可能になりました。これは当時本当にお茶の流通革命だったはずです。
しかも辻利右衛門はお茶文化全体のことを考えていたわけですから、それらすべて特許を取らないで、全部のお茶屋に玉露の製法も、保存の利く茶箱も、自由に使ってもらったんです。この功績は多くの人に認められて、宇治の平等院の正門横に辻利右衛門の銅像を建てていただきました。
全ての皆様に感謝し、敬意を持つ
革新的な取り組みはまだ続きます(笑)。
太平洋戦争中から、茶は統制品となり自由にお茶の商売が出来ませんでした。
このままでは日本のお茶文化が失われてしまう。そう考えた三代目の辻利一は統制品廃止の活動をして、そして廃止が実現しました。革新的と言うか、茶業に貢献する会社の風土が辻利一本店にはあると思います。
地域を大切にする。お茶を作ってくれた人を大切にする。そしてお茶を大切にする。全ての皆さんに感謝して、敬意を持つ。それが辻利一本店150年の伝統です。
最近はいろいろな菓子業界の皆さんとコラボレートさせていただいています。多くの消費者の皆さんに辻利一本店の味を知っていただく、とても良い機会をいただいていると思います。
でもやはりうちはお茶屋です。まずは『美味いお茶』をお出しすることを忘れないで、多くの皆様に愛されるお茶を作り続けたいと思っています。

店名 | 辻利一本店 |
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住所 | 宇治田原町湯屋谷長通63 |
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TEL | 0774-21-2121 |
FAX | 0774-23-8811 |
営業時間 | 10:00~17:00 |
定休日 | 日曜、土曜、祝日 |
取扱商品 | 緑茶・菓子 |
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メッセージ | 創業萬延元年(1860年)、百五十年もの時を経て、辻利一本店は日本緑茶のふるさと、宇治で今も最高級の銘茶をつくり続けています。 そもそも創業者の辻利右衛門は、幕末の動乱によって存亡の危機にあった宇治茶の名声をみごと復興させた人物でした。玉露製法を完成させ、保存性の高い茶櫃を考案したアイデアマンだったのです。その業績は多くの人々に認められ、宇治平等院正門横に銅像が建てられる栄誉にいたりました。伝統的な栽培・加工技術を守りながら、新しい宇治茶の可能性を切り抜いていく辻利一本店は、創業者の心を受け継ぎ、次の世代へお茶の文化を伝承すべくこれからも良質なお茶づくりに励んでまいります。 |
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辻利謹製 煎茶詰め合わせ
¥2,160